さてAさんの講演は母親達の前で行われ、Aが生まれた時から現在までの話で最後に就職の話で締めくくられていました。きっと自らの事を人前で話すのは勇気が必要であったことでしょう。
四季が変わっていくように、私を支えている多くの方が形を変えて応援してくださっていることにあらためて、失ったものよりも何かを得られたことの方が多かったように思えます。
今までの思い出を胸に抱きしめて、肩の力を抜いて歩んでいきたいと思います。 大きな空に私なりのメロディーが描かれるまで。
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最後に会食しながら質疑応答の場面ではやはり就職の話に話題が集中しました。Aさんは小学校と中学校は普通クラス、そして養護学校、職業訓練校と進み大手スーパーへの就職、そして現在の職場とへと集まった親たちからするとエリートコースを歩んできた来たAさんの話は励みにも成り、現状の嘆きにも成ったようです。
何故が私までが会食の席で正面のAさんの横に座らされて、食事の後に自己紹介させられました。私の会社での仕事の紹介、Aさんとの出会いから今までの体験したこと、そしていつものインターネットと福祉の関係について考えを述べましたが、お集まりいただいた方々にはインターネットについての話は難しすぎたかも知れません。
それどころか、行政が作業所建設には否定的な見解であることや、私が勤めている会社が障害者雇用に対して前向きで無い事など、切実な意見が出され、私が会社代表として何か言わなければならないような雰囲気になってしまいまい、とっさに自分は総務でも人事でもなく、何も申し上げられないと逃げてしまいました。
そして私にはもう1つ大きな発見がありました。出産から母親の苦労、そして自分自身の中学校時代の苦労話の時にはAさんが涙声になって言葉に詰まっていました。。いつもは私のぶしつけな質問に対しても笑顔で淡々と答えてくれるAさんの違った側面を見た思いです。